ママのヘルスリテラシー向上をお手伝いするしあわせの実、山田陽子です。
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そんなことを考える私に至ったStoryを
お話しています。
これまでの記事はこちら
MyStoryプロローグ:自分らしく生きる私になる
MyStory1:天真爛漫な女の子
今日は幼少期の話をまた違った角度から。
私から見た父は穏やかで、
何でもできるスーパーマンでした。
昔から色んな大人同士の揉め事を仲裁してたし、
じーじになってからも、実の母親でも泣き止まない赤ちゃんが
じーじの腕の中では大人しく眠っているという
(あやすわけでもなく、抱っこしてパソコンに向かってるだけなんだけど・・・)
なぜだか絶対的な信頼感のある人。
対して母は感情的で、怒られた記憶の方が印象に残っていて。
私に対して、父や祖父母に対して、仕事に対して
色んな納得できないことを、
怒りという感情を使って表現していたように思います。
とはいえ、母の怒りが
理不尽だと感じたというよりは、
子ども心に、母の言うことはもっともだと
本当にその通りだなと感じたことも多く。
けれど、
伝えても伝えても
母が満たされているようには見えず
問題が解決しているようにも見えず
感情を表現することへの虚しさが
私の中で育っていきました。
今思えば「虚しさ」の中には
母を喜ばせることができない自分への
自尊心が少しずつ、失われていった
という側面もあったのかもしれませんが
当時はそんな自覚は全くなく、
ただただ、
父のようにいつも穏やかでいるほうが
みんなに好かれて、絶対に得じゃん!
私はそっちでいたい!!
そんな一心でネガティブ感情を出すことを
全否定していました。
今なら、
直接的な愛情表現を多くしてくれたのは
母だったことを思い出せるし、
ありのままの感情を
出してくれてたことによって
母を知ることができたのは
幸運なことだと思うし、
悲しい気持ちを歪んだ形で
出してしまう人もいる中で
ストレートに伝えられること、
その率直さは尊敬に値する
という見方もできるのですが、
↑
これは、時間をかけて私が
自分との関係やコミュニケーションに関して
取り組んできたからの結果。
子どもの頃にはそんなアイデアには
全く思い至らず、
母との関係から
ポジティブな感情を出すことに対しても
ネガティブな価値観を育んでいくことになります。
その話はまた次回に。
最後まで読んでくださってありがとうございました♡